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生きること生きること

生きるって?

⑤ 母の、とある発言から


 春休みに実家に帰った時のことです。以前見たALS(筋委縮性側索硬化症)という病気の患者のドキュメントビデオについて母に話しました。このALSという病気なのですが、ひょんな異常から全身の筋肉がどんどん動かなくなっていって、最後には死に至る病です。根本的な治療法は確立されていません。
 そのドキュメントの中で、「時期に自分の目の筋肉までも動かなくなったら呼吸器を外してほしい」という人と、絶対にそんなことはダメだという人がいて、どうするか非常に問題になっているということについて話したら、母は、「仮にもし自分がそんな状態になったら絶対に呼吸器抜いて。そうまでして生きたくない」と言いました。キッペス神父はこれについてどう思いますか。

 実はこれは非常に恐ろしい発言なのです。自分で自分の命を絶つことができないから他人に呼吸器を抜いてもらうというのは、言い換えれば自殺できないから他人に殺してもらうということで、自殺を容認していることになります。自殺はいけないと言いながら、自殺を容認しているというのは何とも矛盾したことでしょう。
 根底には、やはり、なぜどんなに苦しくとも生きなくてはいけないかということが明らかにされていないことがあります。万人共通の大問題なのですが、このことはほとんどの場合全く問題にされていません。みんな、苦しくてもとにかく生きろとしか言わないのです。このような不可解なことが当たり前になっているのです。

 また、結論を言うと、絶対にどんなことがあっても呼吸器を外してはいけない、死んではいけないのです。人間に生まれたからにはなさねばならない大事業がある。それを成し遂げて、よくぞこの身に生まれたものぞ、の生命の大歓喜の身になり、永遠の幸せに生かされることが人間に生まれてきた目的である。生きている間にそのような身になれるんですよ。それまでは絶対に生き抜きなさいよ、と僕たちは教えられています。
 平生業成という四文字でそれが示されています。平生に業事成弁するということで、生きている間に大事業が完成できるということです。その大事業は決して結婚することでも大企業の社長になることでもノーベル賞を取ることなどのいわゆる一人一人違う目標でもなく、苦しみの根源を断ち切り、よくぞこの身に生まれたものぞ、という生命の大歓喜の身になり、永遠の幸せに生かされるということで、これは全ての人が成し遂げなくてはいけない唯一のことなのです。 (Y.A. さん)

-------------------- 2009年8月7日UP


④ 医療現場のことについて


 先日、ちょっとした講演会に参加してきました。そのとき、新たに医師免許を取得した方が講演されていました。その内容とそれを通じて思ったことを紹介します。

 「医療と言えば人命を伸ばすためのものですが、命を延ばす目的・延命の意味ははっきりしているのでしょうか。

 僕は到底そうだとは思えません。

 命を延ばすことができても、患者さんの精神的な痛み、根本的な痛みは取り除くことができないからです。
 患者さんの精神的な痛みは想像以上のものです。
 医療は、精神的な痛みまでは治療することができないのです。

 医療の現状は本当に悲惨です。
 
 日本中・いや世界中の医療は真っ暗な谷底にあると言っても過言ではありません。
 この医療の谷底に火を灯さなくてはいけないと思います。

 そのためには、延命の意味、言い換えれば命を延ばしてまで何のために生きるのかをはっきりさせなくてはいけません。今、私たちはその延命の意味を知らされたので、これからはひたすらそれを伝えていかなくてはいけません。それにより、日本中・そして世界中の医療現場に火を灯さなくてはいけないのです。」

 と、いった内容でした。
 
 延命の意味、それも結局は何のために生きるのかということですが、これがはっきりしないと医療も結局は意味をなさなくなってしまいます。
 僕自身もこの講演者と同じく何のために生きるのかを知らされました。今はそれに向かっての手段を取捨選択しているところです。
 僕もひたすら何のために生きるのかを何としてでも伝えていかなくてはいけないと思いました。

生きる力について…生きる力は生きる目的がはっきりすれば自然と湧いてくるものです。僕は生きる目的がはっきりしたので、もうその目的を達成するために全力を尽くして生きなくてはいけません。しかし、目的がはっきりしていても欲望のために違う方向に走ってしまったりすることも多々あるので、ひたすら目的を徹底的に教えていただく必要性を実感しました。

 キッペス神父は何のために生きていますか。また、人命の尊さについて誰にでもわかるように説明しろと言われたらどう答えますか。(Y.A. さん)

-------------------- 2009年7月17日UP


W・キッペスの返事


1.わたしは何のために生きているか。


今、わたしは青山さんを相手にし、その願い・叫びに正直に答える努力するために生きていま。
わたしは「命の源、命なる存在、命そのもの」であるイエス・キリストと結ばれて、「善(=聖なるスピリット)」に内面的に支え、導かれていながら、「存在そのものの源なる存在(=父なる神)」に少しでも栄光を与えるために生きるよう努力しています。こうした生き方には自己中心の思考とそれを絶え間なく引き起こそうとするパワー(=悪のスピリット)が邪魔し、それと闘ったり負けたりする日々の荒波に泳がされているのです。
 具体的なことを言うと、自分の内面性の育成=本(物)者のキッペスになること、社会に「人の内面性を活かせる、内面的に豊かな社会作り」を呼びかけ、入院の有無ではなく、病んでおられる人間同士の内面性のケア(的確な臨床パストラルケア)を提供してくれる社会へ働きかけています。

2.人命の尊さについて誰にでもわかるように説明しろと言われたらどう答えますか。


人命の尊さについて誰にでもわかるように説明はできません。そのために共に生きることは不可欠条件であるからです。人生にさまざまの事があり、その多様性(例、心身共の健康や生活状況の差)に応じて教えるべきであり、それは一人の人間のできることではありません。
人間はさまざまなものを手に入られるが、「命」を手に入れられません。自然科学はいつか命の作成に成功しても、その発明の基盤は「命の存在」であるし、命なしに発明者も生きていないからです。命は頂いているものです。「子供をつくる」と言っても、試験管ベビーを含む子孫は親や自然科学者につくられたものではなく、親に授けられたものだけだからです。
命そのものに代金がなく、尊いものであり、命は一人ひとりの人間としての品位の基です。人は与えられている能力に応じてその命を留意・育成や養成する義務をもっています。と言っても寿命を無理矢理に延命する必要がありません。寿命に終わりがあるのは自然であるからです。
人間はただの動物ではなく、物質の他に心理(感情と情緒など)、知性と理性、心と良心そして不滅な魂(霊)を有しています。心と魂は人間の物質生命を超える次元、即ち、身体が衰え、死んでも、その人の存在が生き続けることを示し、いわば保証するのです。「不滅な魂」の自然科学的な証拠がないが、人類の歴史がその存在を裏付けてくれるとかんがえられます。霊園で故人を祀ることや、天国・極楽や地獄の信条などは「魂」の不滅、いわば人間が死んでも、何らかの形で生き続けている存在であることを示しているようです。


W・キッペス


-------------------- 2009年7月9日UP


③ 人生を泳ぐことのようである


 
 生きるということは泳ぐということにたとえられます。私たちは生れたときに空と水平線しか見えない海に投げだされたようなものです。泳ぐ方向も知らされていません。
これは、何のために生きるのか分からないということです。また、海なので、波が絶えず襲ってきます。人生は苦しみが次々と襲ってくるということを表しています。
 とりあえずそのまま浮いているのは辛いので、とりあえず泳ぎ、何かあてにするものを探します。この海には丸太や板切れが浮いていて、しばらくの間はそれにすがることができます。しかし、波が来るとそれらはひっくり返り、私たちは塩水を飲んで苦しむのです。これは、私たちの人生でいえば、信じていたものに裏切られるということです。
 それらを繰り返すうちに、やがて力尽きてドザエモンになって死んでいきます。これは、悲劇以外での何物でもありません。生まれてきてよかったという生命の大歓喜などあるはずがありません。

 しかし、この海には大きな船があるのです。この大船に乗ることが人間に生まれてきた目的であり、この船に乗ってこそ本当の生命の大歓喜を味わうことができるのです。
何事も障りにならない世界に出ることができるのです。

 難思の弘誓は難度の海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なりという古いお言葉もあります。本当にこの言葉は凄いなと思いました。Y.A.


 
② 幸せとは
 
 私たちは、自分たちにないものがあったら幸せになれると思い、それらを求めます。特技、友人、恋人など、いろいろあります。
 がしかし、あったらあったでなお別のものを欲しくなってしまいます。また、これらのものは一時的には僕たちの欲望を満たしてはくれますが、ある程度を過ぎると苦痛の原因ともなります。言い換えれば、続かないということです。結局のところ、特技にせよ友人にせよ恋人にせよ、その他もろもろのこともですが、本当の幸せではない、一時的な幸せに過ぎないということでしょう。また、苦しみは結局変わりません。有無同然と言われる所以です。

 僕は、本当の幸せを求めて大学も中退して大阪に来ました。そこで、本当の永遠に続く幸せについてや、人間に生まれてきたことの意味などをいろいろ知らされました。しかし、大阪に来たら来たで、関東のことが懐かしくも感じられるようになってしまいました。以前は関東にいることが苦痛でしたが、今は楽しみになっています。何とも複雑な気分です。
 
 結局は、人間は、何が本当の幸せなのかというのを分からないまま生きていると言っても過言ではありません。本当の幸せが何なのか知らされていても、欲望などによってそれに向かおうとする心が阻まれてしまっています。
 しばしば結婚すると本当の幸せになれると言われますが、変わり通しの心で変わり通しのものを信じることはできるのでしょうか。永遠の愛を誓いますとは言うものの、心の中では旦那さんのことを恨んだり、夫婦喧嘩したり、最悪離婚してしまったり…。これではいったい何なのだろうと思ってしまいます。世間的に言われる永遠の愛というものは存在しないということが明らかですね。


 さて、永遠に続く幸せこそが私たちの求めるべきものであり、それを手に入れることこそが人間に生まれてきた本当の目的であるのです。
 苦しみの根源を断ち切っていただき、よくぞこの身に生まれたものぞ!!という生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされる身に一刻も早くなれるよう、二河白道を進ませていただかなくてはいけないと思っています。
 では、苦しみの根源とは何か、そして本当の幸せは何か、それは次以降のメールで明らかにしていきます。Y.A.
 
① 人間に生まれたということがどういうことなのか
 
 3万人…。何の数でしょう。日本の年間自殺者の数です。
 昔と比べて物質的には圧倒的に豊かになったのに、自殺者数は増えるばかりです。首都圏及び大阪地区で、1年間に列車に飛び込み自殺をする人の数の合計は、福知山線脱線事故の犠牲者よりもはるかに多いのです。
 しかも、この数字は、失踪者の数は含んでいません。
 一体、なぜなのでしょうか。

 個人的に、人間に生まれたことを喜ぶ心がないからだと思います。人間に生まれたことを心から喜ぶことができれば、自殺するのも、他人を殺すことも絶対にできません。人間に生まれたことを喜ぶ心は、言い換えれば人命の尊重と言えます。
 しかし、なんで自殺したら行けないのか、何で人命は尊いのか、心からちゃんと答えられる人は皆無に近い状況です。これは、人間に生まれたことを喜ぶ心がないことを象徴しているように思えます。人間に生まれたことを喜ぶ心がないから、人の命の尊重もなく、生んでくれた親に感謝する心も起きず、親を憎み、恨んだりもします。

 人間に生まれるということは本当に有ることが無いといってもいいくらいのことなのです。一説には、苦しみの世界に堕ちる者は果てしなく広がる世界の土の如くで、人間に生まれる者は爪の上の土の如しであるとも言われています。
 しかしながら、生まれ難い人間に生まれながら、自殺したり自暴自棄になって人生を棒に振るものは本当に多いです。

 人生は本当に辛いことだらけです。人間関係や仕事など、どれをとっても辛いことしかありません。こんなに辛い人生、死んだ方がましだと思う人も多いですが、今が地獄で死んだらいいところに行けると言えるでしょうか。前の小川が渡れない人に後の大河は渡れるはずがありません。

 ちなみに、人間に生まれなかったら絶対に出来ないことがあります。苦しみの本当の根源(原因)を断ち切っていただき、「よくぞこの身に生まれたものぞ!!」という生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされるということなのです。これを達成し、自分を生んでくれた両親などに感謝できる身になるまでは絶対に行きぬかなくてはならないと思っています。Y.A.

私の思い(0) 日付: 2009年08月10日