ごあいさつ

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このホームページをたずねてくださるあなた

このホームページのねらいはイエス・キリストをあなたに紹介することです。

 止むに止まれぬ気持ちから、日本人であるあなたに、イエスや、イエスと私との関係について書き贈らせて頂きたいと思います。率直に言うと私はイエスをあなたに、そしてあなたをイエスに紹介したいのです。私自身の経験から言えば、皆さんがイエスや、宗教そのものに対してあまり関心がないこと、そして教え込まれることが好きではないことを知っています。そのようなことを承知であえて、私がイエスについて書くのは、イエスが私のためになさったことと、私のためにし続けてくださることを有難く思っているからです。
  毎日のイエスとの交わりの体験から、私はイエスが好きであり、できるだけイエスのことを心に掛けていますし、掛けようとしています。あなたも、あなたなりに、イエスを知れば(知ることができれば)、イエスを親友として好きになれるのではないかと思うのです。

 以上のような気持ちから私は「イエスと私」をテーマにイエスと私との関係を知って頂く為、又、そこからあなたに何かを感じ取って頂くために紹介を進めて行きたいと思います。

話し方

主題に入る前にもう一つのことを述べておきます。

私個人は誰か~友達に限られていない~と話しているときには、その場にいない人について話すのを好みません。誰か他の人のことをを話す代わりに、そのとき実際にいる相手と話すのが好きです。

また、日常生活で誰かにわたしを他者に紹介してもらうとき、紹介してくださる方(A)とその紹介を受けている方(B)が、わたしがそこに居ないように話すには違和感を覚えます。BはAに「この人はだれ」、「いつから日本に居るの」「日本語ができるの」のように問いかけるとき、わたしは何にも分からない幼児のような気がします。まるで先生の家庭訪問の際の如く。そのとき「どうしてわたしに直接聞いてくれないのか」と考え続けます。先生の家庭訪問のとき、子供が側に居るにもかかわらず、親が先生と共にその子の存在というものを無視したり尊重せずにその子について話すというのも好きではありません。

しかし、もし親が直接子供に話しかけ、会話の中に子供を話し相手として加えるならば私はとても嬉しいですし、私自身も気持ち良く話に加わることができます。自分自身が紹介してもらうときも同様です。

次のような話を聞いたことがあります。母親と二人の子供がレストランに食事に行ったのです。ウェイトレスが、注文を取りに来た時に、上の子供の方は自分の好きなものを注文し、母親は自分と下の子供の分を勝手に決めて注文しました。そのウェイトレスは「ちょっと待って」と言って、下の子供にその子の希望の注文を聞きました。その時、その子供は驚いて大きな声で言いました。「ママ! 私、一人の人間として扱ってもらえたよ!!」と。

こうしたわけで私はこれからあなたとイエスについて話す時、イエスを仲間として会話の中に加えることにします。

『イエスと私』に進んでください。

イエスとわたしイエスとわたし

私を50年間以上もこの日本に滞在させてくださったから、日本人であるあなたを友と呼びたいのです。そしてあなたと私とイエスと三人で、しばらくの間、イエスを中心にして、イエスと共に話してみたいです。

“イエス”、あなたは私にとって大切な存在です。あなたなしでは私自身と私の人生がどういうものであるか分かりません。分かるのは、あなたが存在しなければ、私は今このような文章を書きませんし、そしておそらく日本にいないだろうということです。“イエス”、あなたなくして、私自身と私の人生は一体何なのでしょうか。・・この問いに答えるために、私の日常生活の一日を描いてみたいと思います。

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