ごあいさつ

司祭になって(叙階)50周年司祭になって(叙階)50周年

司祭になって(叙階)50周年 導入

 「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたは私と1デナリオンの約束をしたではにないか、自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。 それともわたしの気前の良さをねたむのか」
(マタイ20.1-16)

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 この福音は「キッペス師、司祭叙階50周年、感謝のミサ」の時に読まれた箇所です。

 説教をしてくださったシュテンゲル師が、キッペス師の"Jesus is Friend"という言葉が、今日の福音の中にある、主人が雇い人に対して「友よ!」と呼ばれた箇所があったのは、今日のこの日、感謝のミサの福音として読まれたことに、偶然というより神の計らいを感じますとおっしゃって、「友」ということについて話をしてくださいました。
いつも一緒にいるから友ということではない、友とはいったい何か?ということを話してくださり、「イエスは友」というとき、時間、空間、場所を越えた友としての深いところでのつながりがあるのです、と話されました。

小野 由恵


Fr. Kippes 同行記
“「使命感」とその根底にあるもの”

三橋 理江子

 ベルリンから国際線と国内線を乗り換えて羽田に降り立ったとき、私をどうしようもない
 虚無感が襲っていた。
 先頭を歩く目印を失ったからだろうか、もう、ドイツには戻ることはできないが、この日本に着地しているのかどうか、すべては疲れのせいなのかわからない混濁した頭のまま、我が家を本能的に求め帰っていった。
 最後の夜の反省会のときの発言「家に帰ってゆっくり考えたい」の答えを探りながら、この旅を振り返ってみたいと思う。
 今回の旅行はレデンプトール会の宣教師というよりも、臨床パストラルケアのスーパーヴァイザーとして知られているWaldemar Kippes神父様(以下キッペス神父)の金祝を故郷のドイツ、ウルムにて「感謝のミサ」を捧げるのが目的であった。だから、その他はゆったりとした観光、各地での買い物もあるだろうと甘く考えていたが実際はそうではなかった。
 帰ってきて安心できる「家」があるものの、「仕事」のない今、神様にもらった「時間」として丁寧に取り組むことができることを切望し、祈りながら書き進めていきたい。

2005年9月17日(土)
 関西国際空港よりミュンヘン経由で神学校のあるアウクスブルグを目指す。
 私たち一行は総勢6名、添乗員も頼りになる神父様もいらっしゃらない中、片言の英語、全然わからないドイツ語と奮闘しながら、なんとかその地を踏むことができただけでも感動であった。
 飛行機が1時間以上も遅く着いたので、迎えに来てくれるバスの運転手さんが待っていてくれるかどうか心配。
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指し示す方向は何?
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“イエスは友”と

 私たちの人数に不似合いな大型バスとドイツ語オンリーの運転手さん。私たちの次の課題は「キッペス神父金祝」のパーティの出し物の歌と踊りのことである。
 忙しい日々を遣り繰りして出かけてきた私たちに与えられた時間は乏しい。その上、Oさんはドイツ語の歌を歌おうとテープまで持参している。歌と身振り手振り、怪しげなドイツ語が飛び交いながらの練習を重ねる。運転手さんも口ずさんでいる。教わりながら発音を繰り返すが中々難しい。どうなることだろうか。
 アウクスブルグ市内にて9日よりルルド、ドイツの各地のホスピス、病院等を研修してきた19名とキッペス神父様一行を車中にて待つ。

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ご聖体拝領のために

 時間調節をしながら、車窓より学芸都市のたたずまいのアウクスブルグを見学する。
 以前来たことのあるTさんは懐かしく思い出しているようである。
 うれしく一行と合流し、神学校を目指すがその間も研修旅行グループはその日の研修を振り返り一言言うように促される。私たちにも番が回ってきたころには疲れで、眠気が襲ってきていたが、振り払うかのように「一言」。
 神学校に到着。緑の多い環境、広々として快適で整然としており、各自に個室が与えられる。部屋のテーブルの中央には「聖書」が。黙想会にも持参しない聖書を無理して持ってきてよかったと今回痛切に感じた。
 朝晩のひと時、イエズスの言葉をさがしてページを繰る。安堵と平安。

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ウルム市長も交えた参加の人々

 ここまで書いてみて考え込んでしまった。
 最初の日から順を追って書き綴ることでいいのだろうか。どこに行って何をしてこういうことがあって何を食べて・・・というやり方で副題の"「使命感」とその根底にあるもの"に少しでも肉薄できるのだろうかと。しかも今回の旅では全くと言っていい程、記録というものを取っていない。あの炎天下のインドでだって毎日のいろいろや、食べたものくらいの記録は克明に取っていたというのに。今回の私にはそんな余裕などなかったのだ。

日付: 2007年05月13日