イエスとは

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jesus  『イエズス・キリスト』がキリスト教の創始者の正式の名前だと思っている人も少なくない。実際には、いわゆる『名前』にあたるのは『イエズス』だけで、『キリスト』は『救い主』ということを表す称号、ないし役割を示す呼び方である。その元来の意味は『油そそがれた者』という意味である。ユダヤ人たちはヘブル語で『メシア』の語を用いたが、新約聖書はギリシア語で書かれたので『クリストス』とギリシア語に訳され、日本式の発音で『キリスト』と表記されるようになった。

 福音書中ではほとんど『イエズス』、または、出身の村の名を付けて『ナザレトのイエズス』と呼ばれている。しかしイエズスの復活後になって、イエズスこそ本当の救い主だと信じるようになった弟子たちが、『イエズスこそ救い主だ』と説いて回るようになって以来、次第に『イエズス・キリスト』とか『キリスト・イエズス』という言い方が用いられて定着していったと思われる。
 本来の『名前』である『イエズス』も、当時、ユダヤ人の間ではことさら珍しい名前であったとは言えない。たとえば、手元に旧約聖書があれば目次を開いて6番目の書物の表題を見るとよい。『ヨシュア記』とある。ヨシュアというのは『ヨシュア記』の中で指導的役割を果たす人物の名で、イエズスのヘブル語式の読み方である。
 もっともヘブル語の発音を正確に日本語で表記するのは困難なので多少簡略化してはいる。

 ところで、この『ヨシュア』、したがって『イエズス』は、『ヤーウェは救い』とか『救い主ヤーウェ』を意味するという。『ヤーウェ』とは旧約聖書で用いられる神の呼び名であって、邦訳聖書では『主』と訳されることが多い。こう考えてくると『イエズス・キリスト』という呼び方は、きわめて意味深い内容を含んでいることになる。

 結局、こう言えるであろう。『イエズス・キリスト』というのは、単なる名前や呼び方にすぎないのではなく、『イエズスこそは唯一の救い主である』という意味を含んだ一種の信仰告白の形、それも、最も簡潔で、しかも最も根本的な信仰告白の形である、と。事実、キリスト者にとって『イエズス・キリスト』という呼び方は、常にそのような意味合いをもつのである。

  今は世界中で用いられている年代の表記法を、通常、『西暦』と呼ぶが、ADとBCという略号が用いられることはだれもが知っていよう。このAD(西暦の紀元後、の意)は『主(イエズス・キリストのこと)の誕生の年から数えて』という意味のラテン語の表現の略記でありBC(紀元前、の意)というのは、英語で『キリスト以前』…と説明しているところの、略記であり、BC(紀元前、…)つまり『キリストの誕生の年からさかのぼって』という意味の表記を略記したものである。したがって、西欧の人々は世界史をイエズス誕生を境にして二つに区切るということになる。

 歴史上の人物を紹介する時の一般のならわしどおりに、ここでもイエズスの紹介を、『イエズスは西暦元年12月25日、パレスチナと呼ばれている地域の一小国ユダヤの首都エルサレムにほど近いベトレヘムの村に生まれ、…』と始めるべきであろう。しかしイエズスの場合、こうした方式は採れないのである。まず、イエズスは西暦元年に誕生したのではない。その誕生の年を正確に知ることはできない。確定するすべもない。どういうわけか、西暦という考え方を考案した人が思い違いをしたようで、後になってそれが確定された。現在、わかっていることは、西暦元年よりも4〜7年くらい以前にイエズスが生まれている、という程度である。むろん誕生の月日も不明で、クリスマスは数世紀後になって12月25日に祝うことに決めたものである。

 世界史を二分するほどの意味を与えられたこのできごと、イエズス誕生の正確な年月日を世界中のだれも知ることができないという事実は、いつもわたしたちを驚かせる。

JESUS THE HEALER  ただ、福音書の述べるところによれば、イエズスは首都エルサレムから少し南に位置するベトレヘムという村で生まれ、しかもそれは母のマリアがその夫ヨセフとともに人口調査のために戸籍届けに出かけた旅先でのことであった。

 いっそう確かなことは、幼少時からおよそ30歳におよぶ年月−イエズスの生涯のほとんどの期間にあたる−を、パレスチナの北方に位置するガリラヤと呼ばれる地方のナザレトという小村で過ごしたということである。しかしその間のイエズスについて、確かなことはほとんど知られていない。おそらく、ごく普通のユダヤ人として育ち、長じては家業の大工仕事に従事したものと思われる。後になってナザレト村の人々がイエズスについて言う言葉から、そのように推測できる。この30年ほどのナザレト生活について福音書は全くと言ってもよいほどの沈黙を守っている。

 福音書がそのほとんどの頁を割いて語るのは、イエズスが人々の前に姿を現し、後に『福音』と呼ばれることになる内容を説いてまわったおよそ3年前後のことである。先に述べた30年ほどのナザレト生活についての沈黙に比べると、福音書は、人々の反響を含めて、およそ3年にわたるイエズスの生活を驚くほど丁寧に述べていると言えよう。むろん、聖書は客観的にできごとの推移を記録する歴史の本ではない。イエズスをキリストと信じる信仰に立って、イエズスのもたらしたもの、イエズスその人などについての証のために書かれた書である。具体的な年月やことがらの時間的順序にはあまり関心をもっていないことも事実である。それでも、ある程度の輪郭をたどることはできる。

「カトリックの信仰」鹿児島教区司祭評議会編 あかし書房('82第3刷)より転載

キリスト降誕二千年キリスト降誕二千年

キリストはきのうもきょうも永遠に

キリスト降誕二千年の大聖年に向けての祈り

御子をお与えになるほどこの世を愛される神よ
あなたは二千年前
御子イエス・キリストを人類にお与えになり
まことの救いの喜びを与えて下さいました。
今 キリスト降誕二千年の
大聖年を迎えるにあたって祈ります。

洗礼によって神のいのちにあずかり
あなたの子どもとなった私たちに
その恵みの偉大さを悟らせてください。
堅信の秘跡によって強められた私たちが
あなたの愛を人々に告げ知らせる
尊い使命を受けたことを
心に深く刻みつけてください。
御子キリストとの交わりを日ごとに深め
よりあなたに近づき
あなたに似た者となりますように。

すべてのキリスト者が一つになり
あなたの望まれる世界の到来のために
ともに力を尽くすことができますように
あなたの協会を新たにしてください。

日本の協会に絶えずいつくしみを注いでくださる
私たちの母 聖マリア
私たちのためにとりなしてください。
私たちが日々 回心することにより
大聖年を<新しい春> <新しい聖霊降臨>として
まことの喜びのときとすることができますように。
アーメン

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